疫病を怨霊の祟りとした神泉苑の御霊会
どんな伝承か
貞観五年、都の神泉苑で御霊会がおこなわれ、崇道天皇らの霊が祭られた。そのころ疫病がしきりにはやって多くの人が死んだが、それは無実の罪で死んだ崇道天皇や伊予親王、藤原夫人、橘逸勢らの怨霊が病魔となって祟っているのだと信じられたためである。朝廷もこの考えを受け入れて、五月二十日に霊を慰める祭りを営んだという。
原典より
元来支那にては天神を神といい、地神を祇といい、人神はこれを鬼といふのであるから、疫神は人神に属し、餓鬼、邪鬼、魔鬼、窮鬼の類と一列に位するものである。—— 迷信の研究(富士川游(監修)・富士川游・医学史/迷信研究・1932年(昭和7年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
迷信の研究(富士川游(監修)・富士川游・医学史/迷信研究・1932年(昭和7年))
『迷信の研究』は、富士川游が東京の中山文化研究所で監修し、昭和七年二月の緒言を付して世に出した迷信の解説書である。迷信を思考の錯誤ととらえ、その発生の由来を説いたうえで、身体・精神・疾病・妊娠と出産・育児・禁厭・相法・卜占・天文と暦・犯罪・宗教の欄ごとに迷信の事例を挙げ、科学的な説明を加える。同研究所の展覧会に使った説明のポスターをもとに簡潔にまとめ、巻末の奥書に参照した独逸と日本の文献を掲げる。