臥せったまま閻魔へ詣でた医師
どんな伝承か
小日向水道端に、婦人の産の扱いが巧みだと人が沙汰する山田斉淑という医師が、三代にわたって住んでいた。享和二年正月、斉淑は長患いで起き臥しもできないほどであったが、同月十六日に少し快いので、近隣の寺へ詣でて閻王を拝したいと言った。妻子はこの大病では外へも詣でられまいと諭したが、その日の夕方に亡くなった。ところが近くに住み、御賄方を勤めて斉淑と懇意にしていた者が、子供を連れて閻魔へ詣でる途中に斉淑と行き逢い、久々に病気の様子などを尋ねて別れていた。日を経て斉淑の死を聞き、訪ねて正月十六日の参詣のことを尋ねると、妻子は到底参詣できる体ではなかったと語ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
科学的教養(小泉丹・小泉丹・科学論・1948年(昭和23年))
『科学的教養』は、小泉丹が昭和二十三年に春秋社から刊行した、科学的なものの見方を説く評論である。精確さ・合理性・実証の面から科学的と非科学的の違いを論じ、河童の記録や呪いの効き目、『耳袋』の怪異談、狐憑き、幽霊・化物屋敷、人魂・鬼火・怪火を例に、日本人のものの考え方を検討する。昭和十七年に書いた前版を戦後に改稿したもので、序と起序に続く七章から成り、旧稿の終わりの二章を除いたと序に記す。