第二回調査へ向けた曲折
どんな伝承か
調査団が消えた昭和四十三年、著者は再びベルクに支援を頼み、アメリカの医学者プハリッチと共同で調べる話がまとまった。だが九月十四日、羽田に出迎えてもプハリッチは現れず、ベルクの違約で行けないという電報が届いただけだった。著者はひとりでも行くと決めたが、その後押しになったのが、デューク大学の超心理学研究所にいたケン・テニーである。坐禅やヨガに打ち込んできた彼は七月にふいに研究所を訪れ、先にマニラへ渡って手術者を訪ね歩き、ブランシェという手術者が皮膚に触れず空中で指を振るだけで切開すると手紙で知らせてきた。弁護士ギアングからは、教祖マグリーバが公開で盲腸の手術をするという誘いも届いた。
原典より
ブランシェは、患者の皮膚には触れずに空中で右人差指で手刀を切る恰好をするだけで、患者の患部上の皮膚を切ることができる。—— フィリピン心霊手術調査行(本山博・本山博・宗教心理学・1971年(昭和46年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
フィリピン心霊手術調査行(本山博・本山博・宗教心理学・1971年(昭和46年))
『フィリピン心霊手術調査行』は、本山博がフィリピンの心霊手術を二度現地で調べた記録の上巻で、序文の日付は一九七一年四月、本文末尾は一九六九年二月である。ライン教授の紹介で来訪したベルク氏を機に昭和四十一年と四十三年に渡り、トニー、ブランシェ、メリカドらの手術に立ち会い、手術家の超心理学的検査や摘出物の病理検査を行った経緯を見聞のままに記す。第一回調査、帰国後の反響とインチキ騒動、第二回調査の三章からなり、巻頭に標本の病理診断書を掲げる。