大阪城で回向した後の霊的障害
どんな伝承か
宇佐美景堂は戦後、霊相道の斎場で浄霊祭を開くようになり、それは毎年春と秋の恒例となった。別の箇所によれば、この浄霊祭のあとから、霊媒の力をもつ妻に、行き場なくさまよう浮浪霊が次々と憑くようになったという。昭和二十七年の春、先祖が豊臣家と縁が深いことから大阪城を訪れ、独りで豊臣方の一族の霊を回向したところ、それからしばらくの間、家族の中に霊的な障りが続いた。宇佐美はこれを、押し寄せた死者の霊のために霊相が乱れたせいだと受け取った。別の箇所では、このとき供養しようとしたのを大阪夏の陣の戦死者と書いている。豊臣家の供養は、のちに亀岡市郊外の頼政山に供養塔を建てたことで、ようやく落着した。
原典より
昭和二七年の春、先祖が豊臣家に縁が深いというので宇佐美は大阪城を訪れ、そこで豊臣側一族の霊を回向し、以後しばらく家族中に霊的障害を受けている。—— 鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学)
『鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論』は、津城寛文が著し、春秋社から刊行された宗教学の研究書である。本田親徳・出口王仁三郎・浅野和三郎・友清歓真・川面凡児・田中治吾平・宮地水位など、近代以降の神道界とその周辺に現れた鎮魂行法家の系譜をたどり、その鎮魂帰神説や霊魂観をシャーマニズム研究の観点から整理する。序章と全七章からなり、第一章で行法家の群像を描き、第七章では「宗教的身体境界」の考え方によって鎮魂行法を類型化する。