清涼殿の落雷と道真の怨霊
どんな伝承か
菅原道真は宇多法皇に信任されて右大臣となったが、左大臣藤原時平の讒言で太宰府へ左遷され、その地で病死した。やがて蔵人頭の藤原菅根は雷神となった道真に蹴り殺されたのだという噂が立ち、翌年には時平が死に、時平に押されて皇太子となった保明親王も、その跡を継いだ皇子も相次いで世を去った。延長八年六月二十六日には清涼殿の柱に雷が落ち、大納言藤原清貫らが焼け死に、紀蔭連は狂い死にした。衝撃で寝込んだ醍醐天皇は譲位から七日後に崩御する。人々はすべて道真の怨霊のせいだと恐れ、北野神社を建てて祀った。著者は、祀ることで祟る神を善神へ戻す御霊信仰から、怨霊が学問の神となったわけを説いている。
原典より
そして、延長八年(九三〇)六月二十六日、皇居清涼殿の西南の第一柱に雷が落ちた。—— 呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年))
『呪術と占いの日本史』は、渋谷申博・瓜生中が平成四年に著した日本呪術史の概説書である。縄文の屈葬や土偶、卑弥呼の鬼道から中世の呪詛、近世のおかげ参りと「ええじゃないか」を経て、明治の神仏分離と修験・祈禱の禁止までを、記紀や史書の記事と民俗の断片から拾い上げる。古代・中世二章・近世の四章を小項目に分けて立て、表の歴史に現れない民間信仰を「闇」の系譜としてたどる。