丙午を言い張った八百屋お七の火刑
どんな伝承か
天和元年の暮れ、本郷駒込片町にあったお七の家が類焼し、十六歳の娘は家族とともに円林寺へ身を寄せた。そこで寺小姓の吉三郎と情を通わせるが、翌年に家が建ち直って寺を引き上げると、住職に阻まれて会うこともかなわない。思い余ったお七は、もう一度焼け出されればまた会えると考え、天和二年十二月二十八日に自宅と隣家の間へ火を放ち、すぐに捕らえられた。翌年三月二十九日、市中を引き回されたうえ火あぶりに処される。奉行は年齢を偽らせて助けようとしたが、お七は十五で丙午だと言い張ったと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の俗信 1――迷信の実態(文部省迷信調査協議会・日本の俗信・昭和24年(1949))
文部省迷信調査協議会『日本の俗信1―迷信の実態』(昭和二十四年)。戦後の文化国家建設を背景に、昭和二十一年から宇野圓空を委員長とし今野圓輔・森秀男・古畑正秋らの人文・自然科学者・迷信研究家が、全国の児童生徒・教師を通じて行った大規模な迷信実態調査の第一回報告。