狐持ちの娘との婚礼に親戚が来ない
どんな伝承か
松江法務局の資料に記された隠岐の海士村の例である。昭和二十五年、大字菱浦の中学校教員の男が、同じ村の豊田部落の娘と恋仲になった。娘の家が狐持ちとされていたため、さまざまな障りが持ち上がったが、男は親や親戚を説き伏せて承諾を取りつけた。ところが、いよいよ式を挙げる当日になると、承諾したはずの親戚はほとんど姿を見せず、事実上、親戚付き合いは断たれてしまった。著者は、狐持ちの家と白米の家が押し切って結婚すると、白米の側が新たに狐持ちとされ、うつるのを恐れた親戚から縁を切られる例だと説明している。
原典より
しかし、愈々結婚式をあげる当日には、承諾した筈の親戚は殆んど出席しなかつたので、事実上、親戚関係は絶縁されるに至つた—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。