迷信打破を誓った部落の婚礼騒ぎ
どんな伝承か
昭和二十五年三月二十日、豊田部落民は部落民大会を開いて狐持ち迷信の打破を申し合わせ、規約を作成した。規約は、婦人会・三和会・青年団から各四名の実行委員を出すこと、部落に住む満十五歳以上で趣旨に賛成する者は誓約書を提出すること、人狐的迷信に基づき部落の民主化を著しく阻害したと認定された者は各団体から除名することなどを定めていた。しかしこの誓約も所詮は無駄に終わった。決議から間もなく、ある家の主人が「私の家は豊田部落の中にはあるが狐持ちではない」と言ったため、誓約違反だと憤激した部落の青年が結婚式の当夜に押しかけ、障子を破って棒を突き込み花嫁を突いた。
原典より
ところが、この豊田部落民は、昭和二十五年三月二十日、部落民大会を開いて、狐持ち迷信打破を申し合わせ、規約を作成しました。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。