九割五分が狐持ちという豊田の由来
どんな伝承か
隠岐高校の小脇氏の調査によると、隠岐の狐持ちは宇賀を中心に、東、豊田、菱浦の方面へ広がったらしい。豊田部落では全六十三戸のうち六十戸、実に九割五分が狐持ちの家である。小脇氏の報告では、豊田には古くからMとNという二軒の回船業者があって、ともに財産家となったが、やがて勢力争いが起きた。N家の側は、M家が宇賀村のある家と親戚筋であることに目をつけ、M家は狐持ちだと言いふらして村八分にしたという言い伝えがある。いまでは部落のほとんどが狐持ちで占められており、著者はこれを、M家の側が経済力で勝った結果とみている。
原典より
小脇氏の報告によれば、豊田部落では、古くから、MとNとの二軒の回船業者があつて相当な財産家になつたところ、果然、両者間に勢力争いが起つて、…—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。