縁組で潔白を示そうとした菱浦の家
どんな伝承か
隠岐の菱浦部落では、江戸中期以後、大地主のF家に対してU家とO家が対立し、二大勢力をなしていた。ところが江戸末期、U家とO家はF家一派から徳田屋狐株だと言い出され、いろいろな紛争を経て妥協が成立した。明治十九年には、島前第一の富豪である崎村のP家とO家が婚姻関係を結び、島後の富豪S家とU家が相互に婚姻関係を結んで、両家が狐持ちでないことを証明しようとしたが、再び両勢力の対立となって縁組は解消され、O家は今日でもやはり狐持ちだといわれているという。
原典より
更に、菱浦部落では、江戸中期以後、大地主として、F家に対して、U家とO家が対立して、二大勢力をなしていました。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。