三十三間堂の棟木になった大柳
どんな伝承か
毛利輝元の時代に京の三十三間堂が建て替えられたとき、棟木として広島市白木町三田の柳原八幡宮の境内にあった大柳が伐り出されたという。柳原八幡宮の名も、柳原という地名も、この柳にちなむと伝わる。木出しには六か国から人足が集まり、木遣りの音頭もにぎやかだった。柳は海路で京へ運ばれたが、途中備前の沖の白石島のあたりで岩にぶつかって根元が裂け、棟木にはならなかったものの、京には着いたという。江戸期の国郡志は、伐った跡が年を経て一畝ほどのくぼ地になったと記し、陰徳太平記は三田山から出たのを大杉とするが、村では柳と言い伝えているとも書く。
原典より
この柳の木は海路京都に運ばれたが途中備前の沖白石島の辺で岩に当って根元が裂け、棟木にはならなかったが、京都にはつけられたということである。—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。