失踪した喜三郎を占う宮川の神示
どんな伝承か
一八九八年の旧二月、上田家の家長である喜三郎が、穴太村から突然姿を消した。家の者は初め、いつものように亀岡あたりへ憂さ晴らしに出かけたのだろうと思っていたが、三日、四日と何の便りもないので不安になり、ついには親類じゅうの騒ぎとなった。手分けして行方を捜す一方で、占い師のもとへ駆けつけ、近くの神籬教会や妙霊教会、篠村の立枝の地蔵にもうかがいを立てた。宮川の妙霊教会では、約束を交わした女と東の方へ駆け落ちしたという神示が出たが、どの答えもつかみどころのないものばかりだった。そのころ喜三郎は高熊山の岩窟で修行をしていたのである。
原典より
宮川の妙霊教会では、「言いかわした婦人と東のほうへかけ落ちをした」という神示があったが、どれもこれも雲をつかむような話ばかりであった。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。