教師に人糞を塗った少年の代用教員
どんな伝承か
上田喜三郎は貧農上田吉松の長男として生まれた。祖母の宇能は言霊学の中興といわれた中村孝道の家の出で、漆にかぶれて二年あまり寝たきりとなり十歳でようやく入学した喜三郎に、言霊学を熱心に教えこんだ。小学校に入って十三歳のとき、士族出身の担任教師から父をさげすまれ辛く当たられた喜三郎は、竹竿のさきに人糞をぬり、その教師を待ちぶせて衣服にこすりつけた。怒った教師は退校処分に持ちこんだが、校長は感ずるところがあったとみえてその教師をも免職にし、欠員の補充として退校したての生徒喜三郎を代用教員に採用した。喜三郎はしばらく豆教師を勤めたが長つづきせず、下男奉公や牛飼いへと職を転々とした。
原典より
心を傷つけられた彼は竹竿のさきに人糞をぬり、その教師を待ちぶせて衣服にこすりつけた。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。