小松林命の退去を迫り腹に小刀
どんな伝承か
喜三郎に憑いた小松林命を神界の秩序を乱す邪魔者と見た信徒たちは、「小松林命どの、改心して喜三郎どのの肉体から立ちのいてくだされ」と迫った。喜三郎が「おう、去んでやるわい」と応じると、信徒は「肉体は去なされへん。小松林がどかんなら」と肌ぬぎになり、自分の腹へ小刀を突き立てようと身構えた。これはナオに憑いた艮の金神に対し、坤の金神に憑いてもらいたい一心の念願であった。案じたナオが神に伺うと、神は笑って「このものでなければできぬわいや。ご苦労ながらこの御用、わざとだかしてある」と答えたという。
原典より
どかんとは、退かないならという意味の関西弁であるが、そう言って肌ぬぎになって、自分の腹へ小刀を突き立てようと身構える。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。