取調べは十年遅れたと迎えた四方平蔵
どんな伝承か
大正十年二月十一日の未明、綾部の大本本部が当局によって急襲され、二百五十名に及ぶ判事や警官が踏み込んだ。だが草創期からの幹部・四方平蔵らは平然として、「神さまもお待ちかねでござります。教祖さまも、警察から調べてもらわねば疑いが晴れず神の仕組がおくれると前々から申されていました。取調べが十年おくれております」と応対した。検束がむしろ十年おそかったと当局に文句をつける調子で、悲壮感も殉教めいた気負いもまるでない。事前に弾圧を予知していた王仁三郎自身も、「ちょっと行ってくる」と言い残して悠々と検束されていったという。
原典より
検束がむしろ十年おそかったじゃないかと、当局に文句をつけているのである。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。