車塚と小栗街道の名の起こり
どんな伝承か
『紀伊續風土記』が記す車塚の条である。塚は竜神村から本宮へ通う往還にあり、俗説では小栗判官がこの湯に浴して病が癒え、車をこの所に捨てて帰ったのだという。熊野往還の古道で今の街道と少し違う所を小栗街道と呼び習わしている。書はこれらの名を、院本が小栗判官兼氏の物語に車街道の件を作ったことから起こったものだろうと説き、『鎌倉大草紙』の記事を引く。応永三十年春、常陸の小栗満重が謀反して城を攻め落とされ、子の小次郎は相模へ逃れたが、宿の亭主が強盗と謀って毒酒を勧めた。照姫という娼婦がこれを告げたので小次郎は逃れ、のちに強盗を誅したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第9巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第9巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全100話(奈良・大阪・和歌山・三重=近畿南部/紀伊)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。