片足下駄片足草履で登校した子
どんな伝承か
昔、露藤部落の五輪窪から下新田へ通じる道――かつての江戸街道――に沿って集落があり、そこに長次郎という貧しい人が住んでいた。その子の鶴吉は小さい時から親孝行で、村中で誉めない者がなかった。明治十二、三年の頃、鶴吉は露藤の学校へ通っていた。ある朝、父は草履をはいて行けと言い、母は道が悪いから下駄にしなさいと言って、ついに夫婦喧嘩になった。鶴吉は片足に下駄、片足に草履をはいて学校へ行き、友達に囃されたが、これが先生の耳に入り、日頃の善行も知られていたので全校生徒の前で大いに誉められた。鶴吉は学問に励んで教育界に入り、梨郷村の名家の娘を妻とし、後年、最上郡の真室川小学校長を務めたという。
原典より
昔、露藤部落の五輪窪から下新田へ通ずる道路――――かっての江戸街道―――に沿うて聚落がありました。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。