堰役人が果てたひずの沼
どんな伝承か
露藤の耕地整理でいまは失われたが、狐穴という所から入生田の西方を通って糠野目まで、梨郷堰の跡と古老の言う堰の跡が延々と続いていた。昔、沖郷村や梨郷村は水利が悪く、糠野目の鶴巻潭から、それ以前はさらに遠い天王川から水を引き、ひず沼を通して入生田の西方へ延ばしていたらしい。伝えによれば、殿様の命で堰役人が大勢の人夫を雇って堰上げをした年は大旱魃で、松川からも水を引こうとして、ようやく堀が完成した。水門が開かれ祝宴が催されたその時、飯豊山の頂に黒雲が広がり、雷鳴とともに大雨が降って堰は一瞬に崩れ去った。役人は申し開きが立たぬとひず沼のほとりで腹を切り、以来この沼だけは旱魃でも乾いたことがないという。
原典より
現在では露藤の耕地整理によってなくなりましたが、狐穴という所から入生田の西方を通って糠野目まで堰跡が延々と続いております。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。