大柳一本が生んだ一本柳の地名
どんな伝承か
屋代村深沼の武田作右エ門さんの話である。武田さんが小さい頃、現在の一本柳の金子医院のある場所に小学校があり、そこへ通学していたそうである。その場所には直径四尺もあろうかと思われる大きな柳の木が一本生えていた。それほどの大木であるから、相当の年数が経っていたのだろう。だから村人はこの部落を一本柳と呼ぶようになったのだということである。なお武田さんは現在満六十三歳になるという。
原典より
屋代村深沼の武田作右エ門さんのお話ですが、私の小さい時(武田さんは現在満六十三才になります)、現在の一本柳の金子医院の所に小学校があったのだそうですが、そこに通学しておった時そこに直径四尺もあろうかと思われる大きな柳の木…—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。