弘法大師と水無川
どんな伝承か
丹沢の塔ヶ岳から秦野盆地を流れる水無川は、ふだんほとんど水がないが、昔は舟で渡るほど水量が多かったという。出稼ぎ先から父の重病を知って急ぎ帰った若者が渡し場まで来たが、路銀が乏しく渡し賃に足りなかった。後で必ず払うと頼んでも強欲な船頭は取り合わずに舟を出し、若者は歩いて渡ろうとして流れに足をとられ溺れ死んだ。数年後、話を聞いた弘法大師が船頭に情けを説いたが、船頭は棹を振り上げて打とうとした。大師は上流で経を唱えて錫杖を河床に突き立て、川の水をその穴に吸い込ませて干上がらせた。商売を失った船頭は夜逃げし、それから水無川と呼ぶようになったという。
原典より
細々と土色の流れ 水が流れていてこそ川というものだろう。—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。