山伏を夫とし歌を業とした熊野比丘尼
どんな伝承か
熊野比丘尼は、巫女が娼を兼ねた最も目立つ例として挙げられる。『和訓栞』によれば、熊野比丘尼は紀州の那智に住んで山伏を夫とし、諸国を巡って修行していたが、いつしか歌曲を業とするようになり、拍板を鳴らして歌った。これを歌比丘尼と呼び、遊女と肩を並べる者が多く出て、その布施で那智の一山が富んだという。元禄のころの漢学者の随筆『仲子語録』も、中国の道姑を日本の熊野比丘尼のようなものと説明している。比丘尼とはいいながら、普通の尼僧ではなかったのである。
原典より
七十一番職人盡歌合の第三十六番にイタカあり。—— 「イタカ」及び「サンカ」(定本柳田國男集 第四巻より)(柳田國男・定本柳田國男集 第四巻・1963年(昭和38年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
「イタカ」及び「サンカ」(定本柳田國男集 第四巻より)(柳田國男・定本柳田國男集 第四巻・1963年(昭和38年))
『「イタカ」及び「サンカ」(定本柳田國男集 第四巻より)』は、物を乞い歩く半僧半俗のイタカや漂泊の民サンカを論じた柳田國男の論考を、昭和三十八年発行の『定本柳田國男集』第四巻から収めたものである。会津のイタカ町や奥州のイタコとオシラ神、サンカの集会と掟を、近世の地誌や古記録、各地からの聞き書きで説く。イタコの語源やイチコの分布、カムナギの階級、中世の遊女と傀儡の暮らしにも筆を及ぼしている。