遊女が奉仕した住吉社の御田植神事
どんな伝承か
柳田國男は、遊女がもとは下級の巫女であったことを示す例として、摂津の住吉社の御田植の神事を挙げる。この神事のように、古くから遊女が出て祭礼に奉仕する例があるのは、彼女たちが神に仕える下級の巫女だった名残だろうという。遊女を太夫と呼ぶのも、男の舞々を神事舞太夫や設楽太夫などと呼ぶのと同じ趣旨であり、どちらも陰陽道の末流に属することを示すものだと柳田は考えている。
原典より
仍て考ふるに攝州住吉社の御田植の神事等の如く古來遊女の出でて祭禮に奉仕するの例あるは、亦右の下級巫女なるべし。—— 「イタカ」及び「サンカ」(定本柳田國男集 第四巻より)(柳田國男・定本柳田國男集 第四巻・1963年(昭和38年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
「イタカ」及び「サンカ」(定本柳田國男集 第四巻より)(柳田國男・定本柳田國男集 第四巻・1963年(昭和38年))
『「イタカ」及び「サンカ」(定本柳田國男集 第四巻より)』は、物を乞い歩く半僧半俗のイタカや漂泊の民サンカを論じた柳田國男の論考を、昭和三十八年発行の『定本柳田國男集』第四巻から収めたものである。会津のイタカ町や奥州のイタコとオシラ神、サンカの集会と掟を、近世の地誌や古記録、各地からの聞き書きで説く。イタコの語源やイチコの分布、カムナギの階級、中世の遊女と傀儡の暮らしにも筆を及ぼしている。