松山城主上田朝直が一千部を埋めた経塚
どんな伝承か
東松山市松山の経塚は、元亀二年に松山城主の上田能登守朝直、号して案独齊が、一千部の経文を埋めて築いたものと伝わる。初めは下沼(女沼)のほとりにある観音寺の境内にあったが、いまは清正公社の境内に移されている。塚の上には、法華経真読一千部の願いが成ったことと元亀二年二月の年紀を刻んだ碑が立つ。碑にある生年七八の文字は意味がつかめず、七八の五十六歳を表すのかという説もあるという。藤沢衛彦の『日本伝説』は、当時七十八歳の朝直がこの折に別の何かも共に埋め、一家の安穏を祈って玉鉾氷川明神へ参ったと記している。
原典より
元亀二年(一五七一)松山城主上田案独齊が一千部の経文を埋めて築いたもの。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。