将軍塚古墳から出た建久七年の経筒
どんな伝承か
東松山市下野本の将軍塚古墳で、明治三十四年、後円部に祀られている利仁将軍の社の前を掘ったところ、大きな瓶が出てきた。瓶の中には銅でできた経筒が二つ、焼き物の経筒が四つ、そのほかの品が収められていた。銅の経筒の表には、勧進聖人の膚義大徳、壇越の応順大徳、女施主の橘氏の名とともに、建久七年三月初日の年紀と、如法経を納める筒として鋳造したことを述べた文字が浮き彫りにされていたという。
原典より
明治三十四年、将軍塚古墳の後円部に祀る利仁将軍の社前を掘ったところ、大瓶が出て、中に銅製の経筒が二個、陶製のものが四個、その他が発見された。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。