焼け死んだ者の怨魂が化した野鼠
どんな伝承か
名主次郎太夫が進めた青ヶ島の復興のさなか、島を悩ませ続けたのが野鼠だった。寛政年間の移住このかた総出で駆除にあたっても効き目はなく、豊作かと思う年でも実りの頃に食い尽くされてしまう。そのため天保の末になるまで、島では麦を作ることさえできなかった。人々はこれを、地火に焼かれて死んだ者たちの怨みが鼠に姿を変えたものだろうと考え、施餓鬼を営んでねんごろに菩提を弔った。すると鼠の害はしだいに薄れ、何でも自由に耕せるようになったと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。