門閥を争わせた赤神山の信仰
どんな伝承か
男鹿の前代の歴史は甚だしく埋もれている。この半島の旧姓門閥と称された家々は、早くから利害の衝突を見て互いに相傷つけ、滅び、または衰えてしまった。天然の恩恵にも限りがあって両立して栄えることは難しく、外部勢力の干渉も繁かったであろうが、いま一層根本の原因は、この地に争奪に値する中心の利益があったことで、かつて大いに栄えたがゆえに後に亡びざるを得なかったともいえる。その中心の主要な力の一つは、恐らく赤神山の信仰であった。奥羽の霊山の縁起はほとんど皆慈覚大師を説くけれども、それは概して後世の仮托で、当初は男鹿人の地方神が付近の農村を強く威圧したものかと思われる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。