本山と真山の社僧、真言へ転属
どんな伝承か
男鹿では、北磯の側からの登り口を今は真山と呼ぶが、本山の側の旧誌には新山とも書かれている。真山では光飯廃寺の元の庭に、中興大師の手植えと称する大樹が今も茂り栄えている。一方の本山は門前の浜を控え、五社の社殿が正式に南面して、最も自然な登山口であったことを地形が証拠立てている。二つの登り口はそれぞれに熱烈な信仰を集め、先達の職をめぐって長く争った。足利時代の終わりに近くなって、本真二山の社僧が相前後して真言山伏の宗派に転属した。その動機は恐らく政治的なもので、これに伴って麓の住民には不必要な改革が行われたように見える。漢の武帝や蘇武を説く物々しい縁起も、古くからナマハギの信仰を守ってきた素朴な村人には縁の乏しい外国文学の応用であった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
柳田国男編『定本柳田国男集 第2巻』を全331話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。