カタシの木と椿油の民俗
どんな伝承か
九州を旅するあいだ、柳田は機会があるたびに多くの人と白山茶花の話をし、その古い名がカタシであったことはほぼ明らかになった。西部の諸県では今もこの語を使い、サザンカという名を知らないのが普通である。椿をカタシの木と呼び、山茶花をヒメガタシと呼び分ける地域もあるが、島原半島ではこちらがカタシで椿の実はカテャシだという者もいる。もとは二種を区別せず、油を搾る実のためにまとめて残していたのだろう。柳田の生まれた播磨中部ではカタシという語はなく、椿の実はキノミと呼んでいた。
原典より
九州の旅行で機會がある毎に、私は多くの人と此花の話をして見たが、古名がカタシであつたことだけは、大體に明かになつた。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。