住吉社と間違えた鬼門よけの稲荷
どんな伝承か
広袴から五、六町下った打越という部落は、地図には住吉谷戸と記され、古くから能ヶ谷の小字だった。住吉社はすでに合祀されていたが、それを知らずに都筑郡の側から山路を越えてきた柳田は、民家の裏の岡に鳥居を見つけ、田を隔てて娘に尋ね、社と思い込んで入ろうとする。出てきた兄が、あれは我が家の神で鬼門よけの稲荷とこの辺では呼ぶ、住吉社はあの山だがもう合祀されたと告げた。驚いて引き返そうとすると、合祀社の氏子総代だという父親が縁先に腰を掛け、広袴の神明と不動堂の話まで語ってくれた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。