木曾路名所図会に残る真澄の書入れ
どんな伝承か
能代の近藤八十二が発見したものに、その地に伝わる木曾路名所図会の書入れ本があった。同書巻三、寝覚の床の条に載る吉田植田義方の詩の欄外に、真澄の筆の跡が見られるという。三河国吉田駅の植田義方はもと賀茂真淵に学び、俗名を植田屋七三郎といって、自分が一度学びの親とした人であると記してある。植田義方が真澄の若い頃の師であったとすれば、その学問の系統は一端が明らかになる。この図会が刊行されたのは文化元年で、真澄が能代に滞留したのは享和元年の冬以来何度もあり、殊に文化の初年には頻々と来ていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。