寒風山に開く石倉の隠里の岩窟
どんな伝承か
文化元年八月、真澄は久保田の応供寺を出て八郎湖に名月を見ようとし、土崎から天王の御社に詣で、神職鎌田利高とともに舟に乗って湖上の月を賞した。二十三日には桜庭・山本・鎌田らの人々と寒風山に登臨した。まず大倉村に行って吉田某を案内に頼み、山に登って石倉の隠里という岩窟を見た。その後は田屋野沢・船越を経て天王に還っている。翌日は脇本の浦に至って神職伊東大和を訪ね、さらに比詰村に行って某氏の家に宿した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。