木地ヶ森と北畠殿宛の由緒申立書
どんな伝承か
「川上村誌」の記すところでは、高原区の木地ヶ森は、惟喬親王の従臣たちが居を構えて初めて木地を製した故跡である。後年、植林事業が繁盛して木地の業は中絶したが、今も木地屋衆・木地屋筋などと称してその家がある。村共有の古文書には、元弘三年八月、当時の領主北畠殿に宛てた由緒申立書の案というものがある。それには惟喬親王が君ヶ畑より供奉随身してこの所に止まり、大君御在世の時から木地職を営んだので、承久二年に「鳥のつばさの及んだけ駒のひづめの至ん程」という綸旨を頂き、木地の司たる者は君ヶ畑と高原に住むと述べ、和州吉野郡川上七保内高原総中と署している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第4巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第4巻』は、柳田国男の著作を集めた定本の一巻である。岩手県遠野の伝承を佐々木鏡石から聞いて書いた「遠野物語」、山に入った人や神隠しを論じた「山の人生」、河童・ひだる神・一つ目小僧・天狗などを扱い妖怪名彙を付す「妖怪談義」を収める。ほかに「山人考」「史料としての傳説」「比丘尼石の話」「山人外傳資料」「『イタカ』及び『サンカ』」「山民の生活」など、山人・漂泊民・妖怪をめぐる論考を併せる。