落城の翌朝に赤く染まった飯
どんな伝承か
落城当時、麓の住民は城山川の水を飲料に使っていた。ところが城が落ちた翌朝に炊いた飯は、村じゅうことごとく戦死者の血で赤く染まっていたという。そのため六月二十四日には今でも赤飯を炊き、戦死者の霊を慰める習わしがこの村に残っている、と案内の老人は語った。血に染まった飯の記憶が、そのまま年に一度の供養の膳へ移し替えられたわけである。城の落ちた前日の六月二十三日には全山が濃い霧に覆われ、以来その日だけは必ず霧がかかるとも伝えられていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。