どぶっ田 2
どんな伝承か
稲越の、今の国分高校のあたりの田は、胸元まで潜るほどのどぶっ田だった。今は区画整理されて家が建ち並ぶが、当時は泥の中で足を伸ばすと、底に沈んだ船の残骸か帆柱でもあるように思えたという。あまりに深いのでかしこまった姿勢のまま植え進み、女もその場で用を足した。褌を締めずに田を植えているようなものだったと話者は笑う。蛭も多く、腋の下まで吸い付かれた。水かぶりの蛭は小さいが、大きいものは縞のある馬蛭だったという。
原典より
こんな深い田やなんかはね、この辺(胸元)までありますよ。—— 市川の伝承民話 第2集(市川民話の会・市川の伝承民話・1981年(昭和56年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第2集(市川民話の会・市川の伝承民話・1981年(昭和56年))
『市川の伝承民話 第2集』は、市川民話の会が昭和五十六年に発行した民話資料集である。千葉県市川市の曽谷・宮久保・下貝塚と行徳の古老から聞き取った、狐や狢に化かされた話、火の玉、伝説、昔話、唄、暮らしの禁忌や苦労話を、方言を残した語り口のまま記録している。世間話・伝説・昔話・唄・生活譚の五部を地区別に並べて各話の末に話者と記録者を記し、巻末に語り手の紹介、話者と採訪者の名簿、採訪記、あとがきを付す。