世嗣祈願から生類憐愍令へ導いた隆光
どんな伝承か
天和三年に世子徳松を失った将軍綱吉は後嗣を望み、神田知足院の住職隆光に祈願を命じた。隆光は大修法ゆえ清浄の地に東照宮を勧請すべしと請い、神田橋外の五万坪に東照宮が建てられ、知足院は護持院と改称して関東新義真言宗の大本山と定められた。しかし長く祈願を重ねても大奥に懐胎する者はなく、隆光は、世嗣に乏しいのは前世に殺生を多くなした報いであるから生物を愛して殺すなかれ、将軍家は戌年の生まれゆえ最も犬を憐れむべしと進言した。綱吉はこの説を過信し、貞享四年二月二十二日にまず江戸市中へ令して犬の帳簿を作らせ、鳥獣から虫の類に至るまで生命を絶つことを厳禁する暴政に至った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・昭和初期~昭和中期)