雨中に燃える杭と巨石の柱
どんな伝承か
ある夜更け、雨の中を菊田治助という者が東照宮御旅宮、今の東六番丁小学校の辺りを通りかかると、花京院通の四つ辻に燃えている杭が無数にまき散らされて燃え上がっていた。辻の角の餅屋が投げ出した燃えさしだろうとそのまま帰ったが、あとから不思議に思って翌朝早く調べてみると、燃えさしの薪どころか炭片さえ落ちていなかったという。またその北の横丁の東角では、小路の幅いっぱいに高さ一丈ばかりの巨石の柱が通行をふさいでおり、喜兵衛という者が抜討ちに斬ると手応えがあった。翌朝行ってみると、辻の角の石が三寸ばかり切り込まれていた。元禄十七年のことであったという。
原典より
ある夜更け、雨の中を菊田治助という者が東照宮御旅宮(東六番丁小学校の辺)の傍らを通りかかったら、花京院通の四ッ辻に燃えている杭が無数にまきちらされ、燃え上っていた。—— 宮城県史 民俗編(茂木徳郎(「妖怪 幽霊」の章)・宮城県史シリーズ) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮城県史 民俗編(茂木徳郎(「妖怪 幽霊」の章)・宮城県史シリーズ)
『宮城県史 民俗編』は宮城県の県史の民俗編で、ここに収めるのは茂木徳郎が執筆した章「妖怪 幽霊」である。山・道・木・水・海・雪・家など出現の場所による分類に沿って妖怪変化を論じ、幽霊とヒトダマ・死霊・生霊の観念を考えたうえで、県内の妖怪・幽霊・動物変化の伝承を郡・町村名を添えて集める。序説・本論・事例篇・参考の順に並び、序説では昭和二十四年の迷信調査と昭和三十年のNHK仙台中央放送局の調査にも触れる。