石の碁盤の祟りで養父を討った又八郎
どんな伝承か
明治二十二年に刊行された草双紙『鍋島猫騒動』の筋書きによれば、肥前佐賀の城主鍋島家には龍造寺高知という客分の武士がいた。実の息子は目が不自由だったため、高知は又八郎を養子に迎えていた。囲碁を好む高知は、四方に切れ目の入った石の碁盤を買い求め、その盤で又八郎と対局していたが、つまらないことから言い争いになった。又八郎は養父を斬り殺し、自分もその場で腹を切って果てた。この惨事は石の碁盤の祟りだとされ、この盤はのちに巡り巡って太守の手に渡ることになる。
原典より
『鍋島猫騒動』解説ここに全巻を紙上復刻した草双紙『鍋島猫騒動』は、明治二十二年七月に豊栄堂から上梓された和綴本(国立国会図書館蔵)である。—— 妖怪伝説奇聞(東雅夫・2005年(平成17年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖怪伝説奇聞(東雅夫・2005年(平成17年))
『妖怪伝説奇聞』は、東雅夫が二〇〇五年に学習研究社から刊行した妖怪伝承地の探訪記である。稲生物怪録の木槌、クダン、牛鬼、塵輪、ナメラスジ、八幡の藪知らず、鬼の骨、蛇骨、鍋島の怪猫、児啼爺などを追い、中国・四国・九州ほか各地の寺社や旧家を訪ねて遺物と伝承を確かめる。月刊誌「ムー」の連載「日本伝説紀行」の十二章を三つのカラーグラビアで区切り、巻末に草双紙『鍋島猫騒動』の復刻を添える。