九段坂で暗殺された国学者の子
どんな伝承か
文久二年十二月二十二日、国学者として名高い人物の子の次郎が九段坂で暗殺された。手を下したのは、のちの博文、伊藤俊輔の一派だったという。次郎は幕府の命で廃帝の古例を調べていたと伝えられるが、筆者は、それが本当だったのか、うわさにすぎないのか、まったくの誤解なのか、真相ははっきりしないと述べる。崩れた旧勢力の事跡は新しい勢力に都合よく書き換えられるのが歴史の常だとし、維新の志士だった老人がこの件を伊藤の生涯でもっとも光彩ある場面だと肯定したのに対し、伊藤の伝記がこれに触れないのは史家の用意だろうと見ている。
原典より
文久二年十二月二十二日には、育學者として有名な彼の一の子の 大 と云ふのが九 坂で暗殺せられた。—— 奇談全集 現代篇(田中貢太郎・奇談全集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奇談全集 現代篇(田中貢太郎・奇談全集)
『奇談全集 現代篇』は、田中貢太郎が幕末から大正にかけての事件や奇談を読み物に仕立てた作品集である。明治十一年に相模の真土村で起きた松木騒動、大正十五年に千葉の久賀村一帯で起きた鬼熊の事件、香取郡の連続殺人、伊賀上野の破獄、京都の天誅などを、記録や関係者の話をもとに描き、松木騒動には筆者が大正六年に現地を訪ねた補遺を付す。播磨屋橋遺聞のように、筆者自身が創作と断る話も含む。