難波橋に晒された儒者池内大学の首
どんな伝承か
京都の儒者池内大学は、安政の大獄では志士の側として捕らえられたが、許されてからは時事を口にするのを避けていた。それでも公武の内情を知りうる立場にあったため、大坂を通りかかった土佐藩主山内容堂が旅館に招き、酒食を供していろいろと話を聞いた。その帰り道、待ち伏せていた三、四人の激徒が大学を襲って殺した。首は難波橋に晒され、捨札には寝返って志士を陥れた罪が書き連ねられた。翌日には両耳がそがれて箱に入れられ、正親町三条と中山の両大納言の屋敷に投げ込まれ、職を退かなければこの耳のようになると脅す文が添えられていた。三日のうちに両卿は職を去ったという。
原典より
は大学の頭を難波橋に して捨札に其の罪状を揚げて、—— 奇談全集 現代篇(田中貢太郎・奇談全集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奇談全集 現代篇(田中貢太郎・奇談全集)
『奇談全集 現代篇』は、田中貢太郎が幕末から大正にかけての事件や奇談を読み物に仕立てた作品集である。明治十一年に相模の真土村で起きた松木騒動、大正十五年に千葉の久賀村一帯で起きた鬼熊の事件、香取郡の連続殺人、伊賀上野の破獄、京都の天誅などを、記録や関係者の話をもとに描き、松木騒動には筆者が大正六年に現地を訪ねた補遺を付す。播磨屋橋遺聞のように、筆者自身が創作と断る話も含む。