空襲の焼け跡から現れた純白の菊花石
どんな伝承か
白木孝一が根尾谷から迎えた八十貫の菊花石は、岐阜市長良の白木邸の庭に据えられ、守護神として朝夕拝まれていた。第二次大戦の末期、岐阜市が空襲に遭うと白木邸も焼け、白木が焼け跡に戻ると、硬いはずの巨石も家とともに焼け崩れていた。ところが散らばった無数の破片の中に、両手で持てるほどに小さくなった中心部が残り、かつての表面の花々とは比べものにならない純白の大輪の菊花を見せていた。白木は歓喜して歌を詠み、この石を菊花石神霊として床の間に祀ったという。
原典より
地面に散らばっている大小無数の破片の間に、中核部分が両手に持てるほどの小形と化して、新菊花石に生まれ変っているではないか!—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。