餅と飯を贈った町の名の起こり
どんな伝承か
東大寺の聖宝上人が大峰へ分け入ったとき、この町の者たちが供をした。上人が山に棲む大蛇を退治して戻ったので、町からは祝いとして餅と飯が贈られた。その礼状の宛名が「餅飯殿まいる」であったことから、やがて町の名になったという。一方『坊目拙解』は、もとは蕗畑郷と称し、餅と飯を春日や興福寺へ供御として納めたことに町名の由来を求めている。町の人々は、大峯入りに供をしたのは自分たちの町だとして、今も山上参りを続けていると語る。
原典より
東大寺の聖宝上人が大峰山に分け入られたとき、この町の人々がお供をした。—— 奈良市史 民俗編――伝説(奈良市(編)・奈良市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奈良市史 民俗編――伝説(奈良市(編)・奈良市史)
『奈良市史 民俗編――伝説』は、自治体史『奈良市史』民俗編のうち、第十一章「伝説」と巻末の「民俗資料」の冒頭を収めたものである。昭和三十七年から三か年にわたり市内各町の自治会長や古老、社寺を訪ねて集めた伝説に文献の伝えを加え、春日大社・東大寺・興福寺などの社寺や、吉備真備・俊寛・中将姫らゆかりの人物にまつわる話を収める。木・石・塚・水・山・森・社寺・人物・動植物・町名の十節に分け、一話ごとに題を立てて記す。