羽黒派の冷遇を恨んだ城内切腹
どんな伝承か
南部藩の確立に努めた二代利直は、慶長一〇年七月一五日に本山派修験千徳安楽院へ閉伊四八郷の先達許状を与えた。若王子も安楽院を閉伊郡の修験を支配する年行事に補したため、安楽院は郡内の本山派のみならず羽黒派の修験まで支配して大きな勢力を誇るようになる。そのせいか、一四世紀末以来、下閉伊郡の羽黒派修験を支配してきた羽黒山の真田在庁が、南部藩による羽黒派の冷遇をうらんで、元和元年に盛岡城内で切腹する事件がおこっている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪(宮古市(編)・宮古市史)
『宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪』は、宮古市の市史のうち、民俗編上巻の第四節「民間宗教者」と第五節「民間医療と俗信」を収めたものである。南部藩の宗門帳などの古文書から閉伊郡の山伏・神子・瞽女と里修験の成り立ちをたどり、イタコ・カミツキと呼ばれる巫女の系統、新宗教、民間薬、予兆・占い・まじない・禁忌を述べる。俗信の末尾には座敷童子・カッパ・キツネ・モウコ(幽霊)・オシラサマなどの話を、地区名を添えて箇条で並べる。