遠流された京師の巫覡十七人
どんな伝承か
著者が『続日本紀』に見える妖術がらみの事件を年代をさかのぼって並べるうちの一件である。孝謙天皇の代には妖術師の処罰が二度あり、そのうち先に起きたのが天平勝宝四年八月のことで、都の巫覡十七人がそろって遠流に処せられたという。著者はこれを大事件としながらも、そのいきさつの詳しいところはわからないと記している。
原典より
奈良朝四代孝謙天皇の御宇には、妖術師処罰のことが二度もおこなわれている。—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。