長篠城の稲荷が片目片足のオトラ狐に
どんな伝承か
愛知県南設楽郡のオトラ狐は、もともと長篠城の鎮守の稲荷であったと伝えられる。長篠合戦の折、櫓に登って戦を見物していて流れ弾に当たり左の眼を傷つけ、その後また信州犀川の岸で昼寝をしていて対岸から狩人に狙撃され左の足を傷つけ、結局片目片足になったという。享保年間に至り、古城跡に近い西組の者が伏見稲荷を勧請してともに祀ったが、それでもなお憑くので、今のはオトラの娘のオサダだ、いや孫娘だとも言われた。憑いて離れぬときは山住さんを迎えたという。
原典より
いうところのオトラ狐なるものは、もともと長篠城の鎮守の稲荷であったが、長篠合戦の折、櫓に登って戦を見物していて、流れ弾にあたって左の眼を傷つけ、…—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。