寛文の覚書に残る手向の狐落とし
どんな伝承か
憑きもの落としの行者として古来もっとも大きな位置を占めてきたのは、呪術を本旨とする修験であった。東北地方では今なお出羽三山を中心に隠然たる勢力を保っている。羽黒山の経堂院精海の筆になる「羽州羽黒山中興覚書」を見ると、寛文六年午七月の条に、手向の円覚坊が、料理人九左衛門なる者に憑いた狐を祈禱によって落としたという記事がある。ただし、その方法がいかなるものであったかは記されていない。修験による狐落としの記録として、年月と当事者の名まで残る古い例である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。