新山権現の宝珠の夢と玉与の姫
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どんな伝承か
清和天皇の皇孫経基王の末葉、右兵衛尉義実は文応元年庚申の春に陸奥国胆沢の郡司となった。民を赤子のように愛したので万民はその厚徳を仰ぎ、国は静かに治まったという。ただ家を継ぐ子がなく、夫婦は朝夕それのみを嘆いていた。ある夜、寝所の枕辺に白髪の老翁が現れ、自ら手ずから宝珠を授けた。何者かと問うと、我はこの家を守護する新山権現であると答え、紫雲に乗って昇天したところで夢が覚めた。やがて北の方は懐妊し、月満ちて姫が生まれ、玉与の姫と名づけられた。義実は屋形の傍らに新山権現を勧請し、城脇山新山寺を建てて慈覚大師作の聖観音を安置した。その遺跡は姉体の里に残ると伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史・自治体史(民俗))
岩手県胆沢町の伝説・昔話を網羅する。第一節は高山掃部長者と松浦佐用姫の物語で、薬師如来本地松浦佐夜姫誕生記、高山掃部長者竹生嶋弁財天胆沢物語、『南部叢書』所載の奥州胆沢高山実伝(高山稲荷の由来、嘉門長者の妻が嫉妬で大蛇に化し止々井の大堤に隠れて人を害し、美女を牲に供える年番が定められ、遠州小夜の中山から小夜姫が身売りして奥州に下り、牲に上るが神明仏陀の冥助で害を免れ大蛇の骨角を埋葬、潟岸薬師・諏訪明神を祀る)など複数の版と考証を収める。
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