倉を開いた長者と拒んだ女房
どんな伝承か
御深草天皇の正元元年、奥州一円が大凶作となり、野山や田畑に飢え死にする者の数が知れず、飢饉は翌年まで続いた。百姓たちは高山の長者に倉を開けてほしいと哀れみを乞うた。長者はさっそく女房に相談したが、女房は、もう少しで三国一の長者になるところだから決して分け与えてはならない、のたれ死ぬ人々は見捨てよと言って聞かなかった。それでも長者は困窮する百姓の姿を見るに忍びず、ついに倉を開けて数知れぬほど人々を救った。これを見た女房は口惜しさのあまり、三百六十余人の使用人を一日休ませれば一人一年の損になると言い立て、一日も休ませなかったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。