泣き坂から四ッ柱へ向かう佐与姫
どんな伝承か
水沢からほど遠からぬ上幅に掃部長者があった。長者は情け深かったが、妻女の足一は外面は菩薩のようで心の内は夜叉であり、三百六十五人の男女を一日も休ませず、長柱を枕にして鶏鳴に叩き起こした。正元の年、田も畑も枯れ果てて幾百人も餓死したので、長者は倉の穀物を出して救い、六道輪廻の宝塔を建てた。怒った足一は長者を殺して高山の館に火を放ち、止々井の沼に身を投じて大蛇となった。郡司邑長は社を建てて潟岸の明神と呼び、三年ごとに生贄を供えた。ある年、瑞夢に示された郡司兵衛が佐与を迎え、泣き坂を越え南宿に泊まり、垢川で汚れを払い、化粧坂で死出を飾って四ッ柱に上った。姫が普門品を誦すと角は折れて消えた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。