松尾神社で決議された人狐組合の村八分
どんな伝承か
万蔵の愁訴から約二十年後、その分家の国三郎によって再び狐持ち受難の訴状が提出された。訴状によれば、七月十五日、河内屋清兵衛の分家清助が中浜屋慶蔵を訪ね、国三郎からの借金がかさんで払いきれないと相談した。清助は本家の清左衛門から、妹とみの病気も信太郎の死も、国三郎から金を借りているために国三郎方の狐が来た仕業だと言われ、早く返せと迫られたという。慶蔵は国三郎と親戚なので取次ぎを断った。清助は清左衛門の代人として国三郎方へ、安くまけてくれるなら返済したいと申し入れたが、国三郎は人狐云々は後日その筋を通して究明する所存だと皮肉り、値引きには応じなかった。
原典より
私達は徹底的に、村八分にされたものであります。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。