大山寺の祈禱が決めた狐持ちの縁切状
どんな伝承か
伯耆でも、狐持ちの名を着せられると、村から追い出されるか縁切状を差し出すしかなかった。宝暦九年の縁切状によると、四年前に権太郎に邪気(狐)が取り憑き、今度は定六の女房にも憑いた。村人たちが大山寺で祈禱を頼み、いろいろと調べた結果、ある家の持つ狐の仕業に間違いないとされた。その家の一族は、村の八十四人余りから子々孫々まで縁を切られ、出入りも付き合いも絶たれることを承知し、以後は赤の他人であると記した書面を庄屋と年寄に宛てて出した。こうして狐持ちとされた人々は、かろうじて村からの追放だけは免れたのである。
原典より
かくして、村人との縁切狀を出して、狐持ちに指定された人々は、僅かに村からの追放を避けるのでした。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。